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2004/07/23
プロフェッショナルマネジャー 58四半期連続増益の男
会社とその最高経営者と経営チームの全員は、業績というただひと
つの基準によって評価される。
たとえば、似たような他の会社と比べて、その会社と経営者は何を
やったか?よきにつけあしきにつけ、その時どきの経済環境の中で、
どんな業績を挙げたか?
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■■ ビジネス選書&サマリー
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━━━━━━━━━━━━━━━━━━━<読者数 23,150部>━
=今週の選書=
■プロフェッショナルマネジャー 58四半期連続増益の男
■ハロルド・シドニー・ジェニーン
■プレジデント社
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■■ 選書サマリー
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あのユニクロの柳井正氏が、衝撃を受けたという経営の指南書です。
【1】
会社とその最高経営者と経営チームの全員は、業績というただひと
つの基準によって評価される。
たとえば、似たような他の会社と比べて、その会社と経営者は何を
やったか?よきにつけあしきにつけ、その時どきの経済環境の中で、
どんな業績を挙げたか?
業績とは、ある四半期または1年の損益計算書についてあげつらわ
れるものではない。長期にわたって会社に組みこまれたものだ。
去年やったことを今年も繰り返し、毎年あるペースで成長し続ける
ことができる会社だと、みんなを信用させるだけの力があるもので
なくてはならない。変化してやまないビジネスの世界で、長期にわ
たって持続する、そういった種類の成長と実績が必要なのだ。
【2】
経営理論は、3行あれば十分だ。すなわち、本を読む時は、初めか
ら終わりへと読む。ビジネスの経営はそれとは逆だ。終わりから始
めて、そこへ到達するためにできる限りのことをするというものだ。
現実的な確固とした目的を定めること、つまり、終わりから始める
ことのすばらしい点は、それ自体が、その目的に達するためになす
べきことを示してくれ始めるところにある。
たとえば、Zに到達したければYに行きつかねばならず、Yに行き
つくためにはXを達成しなくてはならないといった具合だ。それぞ
れのゴールが、そのゴールに行きつくためにしなくてはならないこ
とを明示し、ボトムラインにもなっているのだ。
念願する"終点"にたどりつくまで、ひとつのボトムラインが、つ
ぎのボトムラインに行きつくためになすべきことを順送りに示して
くれるという過程を繰り返しながら、物事は進行していくのだ。
それは芯が出てくるまで玉ネギをむくようなものだ。1枚の皮をむ
くとその下の皮にぶつかり、またそれをむく。そうしながら、われ
われはいろいろのことを学ぶ。
【3】
初期の時代に私が学んだことのひとつに、ヨーロッパからの質問や
要求に対して、私がニューヨークにいてくだす決定は、仮に私がヨ
ーロッパにいたら違うものになることがしばしばあるということだ。
たとえばヨーロッパからの要求に対し、ニューヨークで文書を読む
だだけではノーと言うことも、ヨーロッパで要求者の顔を見、声を
聞いて、信念が理解できればイエスと答えるかもしれない。
そこで、私は早くから、もし私と本社の経営チームがヨーロッパ事
業の状況を把握し監督するつもりなら、頼りになるのは現場にいる
ヨーロッパ人のマネジャーたちだと考えた。そして、問題は現場で、
顔と顔を突き合わせて処理するのが会社の基本方針となった。
【4】
また、初期の頃、私は、各ユニットが翌年や5年間の計画を立てる
ことに時間をとられて、ともすれば現四半期の目標を達成できなく
なっていることに気づいた。
「なあに、心配しなさんな。今期はだめだったけど、年度末までに
はきちんと決まりをつけてみせるさ」という、昔ながらの落とし穴
に彼らは足をとられているのだ。
現実はそんなふうにはいかない。最初の四半期に目標を達成できな
ければ、けっして年間の目標を達成することはできない。まず、と
にかく最初の四半期の収益目標を達成すべきだ。
それから第2、第3四半期の目標を達成すべく死力を尽くすのだ。
そうすれば、第4四半期は、あまり努力しなくても計画通りにいく
かもしれない。
だから、私は「今後、長期計画はいっさい無用とする」という覚書
を社内に配付し、四半期の収益の犠牲の上に立った入念な5カ年計
画を作成することに歯止めをかけた。
むろん、後にそうする余裕ができてからは、われわれはさまざまな
計画に時間をかけた。しかし、現四半期または年度のことをおろそ
かにすることは決してなかった。
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■■ 選書コメント
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本書が書かれた1985年ごろは、アメリカの経営者達が日本に学べと
いうことで、こぞって日本の工場に視察に押しかけていました。ア
メリカが凋落を続ける中、日本は発展を続けていたからです。
そんな時代に書かれた本書で、著者は「日本とアメリカの文化的な
相違に目を向けず、ただ盲目的に日本に学ぶことは間違っている」
と警鐘を鳴らしています。何せ、経営者たちは日本の朝礼や体操ま
でを日本式経営として、大まじめに取り入れようとしていたのです。
そんなアメリカの経営者の振る舞いは、今では隔世の感があります。
しかしそれだけで済ませることができるでしょうか。その姿はまる
で中国に大挙して押しかける日本の経営者の姿そのものと言えます。
人は、とかく物事を単純化しがちです。日本の産業界が停滞してい
るのに中国が発展を遂げているとあれば、さあ中国に学べというこ
とになります。しかし本当に大切なことは単純化でなく、本質を見
極めることです。
当たり前ですが、バブル期の日本にもダメな会社がたくさんあった
ように、発展する中国にもダメな会社はあるはずです。反対に、厳
しい日本の環境下でも、儲けている会社はしっかり儲けています。
もちろん、国を問わず優れている会社に学ぶことは大切ですし、中
国に優れた会社がたくさんあるのも事実です。ただ好況時にはどん
な会社も伸びますから、本当に優れた会社を見極めることは難しく
なります。
本書の著者が、アメリカの企業に対して警鐘を鳴らしたように、わ
れわれはむしろ、この不況下にあっても業績を伸ばしている、しか
も文化的な背景が同じ日本の会社にこそ、今、多くを学ぶべきなの
かも知れません。
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